NPO法人ぐんま緑のインタープリター協会紙

協会紙表紙

春季号 第59号 2018年4月9日


NPO法人「ぐんま緑のインタープリター協会」誕生までの経緯

  顧問 大松 稔

顧問の写真  NPO法人ぐんま緑のインタープリター協会は、発足してから15年経過し、現在、会員167名の大きな会に成長しました。手探り状態で始まった事業も、今では小中学生の自然体験教室をはじめ、森林整備活動、各種受託・協力事業などハード、ソフト両面にわたり事業拡大し、隔世の感があります。
 長年にわたる多くの協会員の創意、工夫により、緑のインタープリターとしての事業の進め方も軌道に乗ってきましたが、最近、協会紙に緑のインタープリターのあり方、実施の方法等について大変示唆に富んだ記事が掲載されており、時々は振り返ることの大切さを感じています。

 県が平成12年度から16年度の5カ年間に実施した「緑のインタープリター養成大学」修了の協会員は22人に減少するなど、世代交代が始まっており、設立当時のことを知る人も少なくなってきました。緑のインタープリター制度の発足の原点を振り返る丁度良い時期ではないかと思います。設立から10年間の協会の歩みは2012年7月2日第36号に掲載しましたが、今回は協会誕生までの経緯について記します。

 直接のきっかけは、平成10年5月10日沼田市と川場村において開催された全国植樹祭です。群馬県では昭和26年に次ぐ2回目の実施ですが、50年近い歴史の中で「木を植えて国土を緑化する」から「森林と水と人間の未来を考える」場へとその開催意義も大きく変わりました。
 こういった時代の流れに対応して群馬県では開催テーマを「聞こえますか森の声」としました。森の声とは森に生活する生き物や自然の営みであり、森林を支える人々の声でもあります。そうした森の声に謙虚に耳を傾ける大切さを理念として掲げた訳です。
 群馬県では全国植樹祭を一過性にすることなく、その理念を引き継ぐ一環として森林や自然、緑づくりに関する広範な知識、技術を指導する緑のインタープリターを養成することになりました。「緑のインタープリター養成大学」事業と銘打つて平成12年度から16年度までの5カ年間実施しました。

 事業の実施は、県の考えに賛同して全国植樹祭の理念を引き継いでいくことを目的とした環境ボランティア団体「森の会」(平成9年12月13日設立)に委託されました。
 養成大学を受講し県知事の承認と登録を受けた緑のインタープリターが社会的要請に応えて活動するためには、個人では限界があり組織が必要であることから、平成12年度から14年度の修了者(63名)が森の会の全面的な支援を受けて、平成15年3月16日に環境ボランティア団体「群馬県緑のインタープリター協会」を結成しました。
 その後、平成18年にNPO法人化し「ぐんま緑のインタープリター協会」が誕生しました。

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校庭の樹木D 〜ハナミズキは贈呈したサクラへの返礼〜

 顧問 亀井 健一

  いくつかの学校を訪れた折に気づいたことですが、公園や街路と同じように校庭にハナミズキが非常に多いことです。見栄えのする花が多数つき、樹高がほどほどで植木として扱いやすいことなどが好まれたのでしょう。校庭の樹木観察の際に、本種が日本に導入されたいきさつを含めて話すと、子どもたちの興味関心を一層高めるかもしれません。
 1912年(大正元年)、アメリカ大統領夫人などの希望を受けて、当時の尾崎行雄東京市長が日米友好親善の架け橋として、サクラの苗木多数をアメリカに贈りました。そのサクラは首都ワシントンのポトマック河畔に植樹されました。サクラの返礼として、1915年(大正4年)、アメリカの代表的な花木であるハナミズキの苗木40本が贈られてきました。白色花(総苞片が白色のものをこう呼んでいた)であったそうです。これが、日本にハナミズキが渡来した最初のことになります。それから2年後、さらに赤色花(総苞片が淡紅色のもの)の苗木が贈られています。

 最初の白色花は、国の果樹試験場、日比谷公園、小石川植物園などに植えられましたが、それらは台風の影響や戦時中の伐採などによって失われ、現在残っているのは都立園芸高校の1本のみということです。同高校の初代校長がアメリカに贈るサクラの苗木選定にかかわった縁から、同高校に植えられたとのことです。過日訪問したところ、その木は樹高 10mぐらいになっていました。戦後、生活の洋風化に伴ってハナミズキが注目され、多くの園芸品種がつくられ、急速に普及しました。
ハナミズキの写真 ハナミズキの写真  ハナミズキの渡来後100年になる平成27年4月、米国のキャロライン・ケネディ駐日大使と日本政府要人らを招待し「ハナミズキ100年祭」が園芸高校で開催されています。大使が記念に植樹したハナミズキもありました。

 ハナミズキは北アメリカ原産で、ミズキ科の落葉小高木〜高木です。目にするものの多くが、樹高5mほどです。葉も花も日本在来のヤマボウシによく似ています。そのために別名アメリカヤマボウシと呼ばれます。葉は対生し、葉身は長さ8〜15cmの卵状楕円形です。
 花期は4〜5月、花弁のように見えるのは総苞片で、白色や淡紅色になります。総苞片はその先端が少しくぼんでいるのが特徴で、先が尖っているヤマボウシとの区別点になります。4個の総苞片の中心部に、黄緑色の粒々の集団がありますが、これが小さな花15〜20個が集まった花序(花の集団)です。なお、厳密に言えば総苞片は花の要素(部分)ではないので、白色花、赤色花と呼ぶのは通称です。ハナミズキ(花水木)と呼んだのはミズキ科で、魅力的な花が咲くからでしょう。なお、アメリカハナミズキと呼びたくなりますが、標準和名はハナミズキと決められています。

写真 左:総苞片の先がくぼんでいるハナミズキ、右:果実と花の冬芽

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<緑の窓> ミミズの話

 第16期生 新井 翠

 雨が降ったあと、道路で大量に死んでいるミミズを見たことないでしょうか。それは、ミミズのいた地中が雨水で埋まり、息ができなくなるため地中から出てきます。しかし、ミミズは目がないのでコンクリートの上に出て、知らぬ間に太陽に水分を奪われていってしまいます。

 ミミズによくついている首輪のようなもの。それは、大人になった証拠です。ついていないのは、子どもです。あの首輪は生殖器の役目を担っています。学術的に首輪は環帯(かんたい)といいます。環帯は生まれたときにはありませんが、大人になるにつれて出来てきます。ちなみに、環帯のある方が口で前方になり、後方は肛門になります。さて、環帯がどのようにして繁殖に関与するかいうと、雌雄同体のミミズは交接のあと環帯の外側に膜を作ります。その膜が前方(口の方)へ移動し、口から離れると卵包ができます。その卵包がふ化し、ミミズの幼体となります。このように、環帯はミミズの繁殖に重要な器官となっています。
ミミズの写真 ミミズの写真  日本にミミズは500種以上いるとされています。しかし、日本のミミズ研究は遅れていて、つい最近(2014年)になって、日本初のミミズ図鑑が発行されました。
 日本に生息するミミズは主に3科(フトミミズ科、ツリミミズ科、ジュズイミミズ科)に属しています。そのうちの95%以上がフトミミズ科です。3科の見分けは、環帯のつき方で見た目で分かります。しかし、フトミミズ科内の種の同定となると、解剖して内蔵の形や数などを調べる必要があります。ミミズは体の半分以上が腸で、腸以外の器官はほとんどが環帯から前方にあります。なので、解剖時は、前方半分を切って種の判別をします。このように、同定 が容易にできないことが研究が遅れている理由のひとつにあると思います。

 ごく身近にいる種類さえ、知られていないので、これから多くの人がミミズという動物に関心を持ってくれるといいなと思います。

写真 左:ミミズの環帯、右:ミミズの解剖

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<豆知識> 雑草の話 9

  理事長 関端 孝雄

 草原にはススキに限らずいたる所にイヌムギ、メヒシバ、チガヤ、カゼクサ、カモガヤ、カラスムギ、カモジグサ、エノコログサ、ニワホコリ、スズメノカタビラ、ヨシ等々イネ科植物の雑草が多数生育しています。また、イネ、ムギ類、トウモロコシなど食料として重要な資源植物も含んでいます。

 そこで、イネ科植物の一般的な特徴を簡単に挙げたいと思います。
@単子葉類で草本が多い。
A葉は葉身と葉鞘があり、前者は並行脈で細長く交互に2列に並んでいて、後者は中空の茎に巻き付いており、両者の間には葉舌がある。
B花粉の運搬を昆虫類などに頼らず、風による風媒花へと極度に進化した。
Cその為、花はスリムな小花となり、内外2個の頴(えい)と呼ばれる苞葉に覆われ、花被片は微細な鱗皮と化した。小花には、普通1個の雌しべと3個の雄しべがある。雄しべは花糸を伸ばし葯が風によって揺れやすくし、雌しべは柱頭を長く伸ばしブラシ状で花粉を絡め取る。
D複数の小花を枝に着けた小穂は穂状花序をなす。
E果実は果皮が乾燥した乾果の1つで穎果(えいか)と呼ばれる。

エノコログサの写真  日当りの良い荒れ地や道端など、広範な範囲に生えているエノコログサについて触れたいと思います。エノコロって犬っころって事で、花穂を子犬の尻尾に見立てたもので、関東地方ではネコジャラシと言い,英語では狐の尻尾と称するそうで、よくも考えが動物に一致したものです(図1)。
 エノコログサ属は1年性の雑草ですから、緑色の花穂である尻尾を風になびかせて毎年無数の種子を撒きます。花穂には枝が退化して伸びた毛がブラシ状につきだしています。果実はその毛が枝分かれした基に着いており、それが熟すと毛を残して基部から外れ飛び散ります(図2:左はまだ枝に着く穎果。右は枝と枝から分離した穎果)。抜け殻となった花穂のブラシは春になっても風に揺れています。

穎果の写真  土地が薄く乾燥して荒れていて作物ならば到底生育不可能と思える環境でも丈夫に生育して、たとえ茎は倒されても上部はきちんと直立します。更にこれにも増して素晴らしいパワーを備えています。それは以前、コニシキソウ(雑草の話5)で記したものと同じ仕組みの光合成を行っているのです。つまり、光合成の原料の1つであるCO2を光合成とは無縁に夜でも取り込むことが出来ます。
 普通の光合成は光が当たっている時にしかCO2を吸収することが出来ません。光合成の働きから察するところ、大気中のCO2はごく少量ですから何倍も多い方が沢山生産物を合成できます。エノコログサの葉の細胞には、薄い濃度のCO2を簡単に取り込める酵素があります。この結果、一般の植物に比べて少量の水で光を無駄にせずCO2を速やかに吸収して高い効率の光合成が出来ます。だから、この植物は乾燥にも強く、高温や強光を有効に利用できる、こうした環境に適応した強靱な生き物です。この酵素の働きでCO2と反応して初めに合成される有機化合物は炭素が4つ(C4)の物質です。この働きを「C4回路」と言い、このような光合成をする植物を「C4植物」と言います。この酵素を作れず普通の光合成をする一般の植物は「C3植物」と呼ばれます。

 エノコログサの仲間には、やや大きめの花穂でその先を下垂しているアキノエノコログサが最近多く見られます。

写真 上:図1.エノコログサ、下:図2.穎果(エイカ)

 よい秋や犬ころ草もころころと  一茶

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<群馬の自然災害>第5回群馬に大きな被害 「浅間山の噴火と災害」

 群馬地球温暖化防止活動推進センター長 中島 啓治

 浅間山は、群馬県と長野県の県境に立つ活火山です。最も古い山体は黒斑山で、この黒斑火山は約2万4千年前、大規模な山体崩壊を起こし、岩屑なだれの発生、カルデラの形成で原型がほとんど失われています。次の前掛山は約2万年前、中心を東に約2q移して黒斑火山の火口原に生まれ東側に東前掛山の火口壁を残しています。現火口の釜山は約1万年前からの活動の中心をさらに東に移した火山です。

浅間山の写真  紀元後の大規模な噴火は、古墳時代の4世紀、平安時代の1108年、1128年、江戸時代の1783年の4回です。特に1783年(天明3年)の浅間山噴火は、吾妻郡史によれば、死者数1443人、流家数957軒とあり、その被害は甚大なものになりました。7月8日には熱泥大噴出・溶岩流噴出(鬼押し出し)となりました。この噴出物は吾妻川を塞ぎ、決壊して利根川を奔流し、沿岸の村落で大惨害となりました。この泥流の直撃を受けた鎌原村は、人口597人中466人死亡となりました。
 北半球が1400〜1650年間の小氷期と呼ばれた急激な寒冷期の後、天明の大飢饉は、浅間山・岩木山の噴火が重なり東北地方を中心にありました。フランスでは、1783年の前年からの天候悪化、アイスランドのラキ火山の爆発がさらなる寒冷化を起こし、不作などが原因で人々が飢える結果となったと言われています。

 最近の浅間山は、1961年(昭和36年)の噴火以降は、しばらく静穏でした。1973年2月1日の爆発では、小規模な火砕流を山腹斜面に流しました。1982年には東京に降灰。1983年には、前橋・宇都宮・小名浜に降灰、1990年に東麓に降灰を見ました。
 浅間山は、軽井沢追分の気象庁軽井沢測候所と峰の茶屋の東京大学浅間火山観測所が浅間山の火山活動を常時監視しています。また地元自治体が、山頂火口縁にテレビカメラを設置しています。これらの監視で異常が認められたときは、軽井沢測候所が臨時火山情報を出し住民・観光客に注意を促すことになっています。また、過去の噴火事例をもとに将来の噴火災害を予測したハザードマップが作られています。

群馬には、他にも活火山があります。それぞれの活火山と共に私たちの生活があります。 火山意識を常に高めておく努力を怠りなく、備えて準備をしておきたいものです。

写真 浅間山:小規模火砕流の流出 2004.10.24

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<協会員の声> 常緑地這植物

 第15期生 荒木 昭彦

 観察会等で植物に目を向けていると、気になる言葉が残るものです。その中で玉原高原の観察会での『常緑地這植物』という言葉にこだわりを持ちました。
 『常緑地這植物』とは北海道西南部、本州の日本海側の、多雪地のブナの林床に自生する「日本海要素の植物」です。特徴は背丈が低く、地を這うような、しなやかで枝や幹が雪の下で横になる性質を持ち雪の下の温度が0℃以下にならないことをうまく利用して、適応してます。「ヒメモチ」「エゾユズリハ」等であり、「モチ」「ユズリハ」の「太平洋要素の植物」が多雪地に適応したものです。
エゾユズリハの写真  「太平洋要素の植物」と「日本海要素の植物」の地理的分岐点をミヤコザサ線と呼びます。積雪とササの種類とに関連性が高く、ミヤコザサは積雪50cm以下で分布する為、ミヤコザサの分布の北西限を結んだ線の北側の地域が、日本海側気候(多雪)の影響を強く受けた植物群地域となります。

一つのこだわりを持つことで知識は広がることを改めて認識しました。

写真 エゾユズリハ

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<協会への協力>

 GNホールディングス株式会社様 上毛新聞にH30年度「大人のための自然教室」受講生募集の広告を掲載いただきました。

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<編集後記>

 今年の冬は例年に増して寒かった。雪には慣れている北陸の人達でさえ、異常な積雪に驚いていました。厳しい冬があるからこそ、春が一層待ち遠しいのだろう。(吉田幸一)

<pdf版>

協会紙 平成30年度春季号 第59号 pdf版

協会紙 平成29年度新年号 第58号 pdf版

協会紙 平成29年度秋季号 第57号 pdf版

協会紙 平成29年度夏季号 第56号 pdf版

協会紙 平成29年度春季号 第55号 pdf版

協会紙 平成28年度新年号 第54号 pdf版

協会紙 平成28年度秋季号 第53号 pdf版

協会紙 平成28年度夏季号 第52号 pdf版

協会紙 平成28年度春季号 第51号 pdf版

協会紙 平成27年度新年号 第50号 pdf版

協会紙 平成27年度秋季号 第49号 pdf版

協会紙 平成27年度夏季号 第48号 pdf版

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協会紙 平成22年度新年号 第30号 pdf版

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協会紙 平成22年度夏季号 第28号 pdf版

協会紙 平成22年度春季号 第27号 pdf版

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2010年11月1日更新
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